青 年①   今から56年前(1966年)17歳の少年の記録。 ①~⑤で掲載

ペン(小説 ルポ)を元気に

      

少年の日の「記憶」は、遠く霧の向こうにかすんでいるが、少年の日の「記録」は、当時のままの形で、きちんと残っている。自分が「17歳の高校生」の時に書いた青い文章も恥をしのんで掲載してみたい。時代背景が少年の文章にもにじみでている。当時は、大学闘争が盛んになり始めたころ、若者たちの多くが、政治・権力に目を向け、日本や世界の平和と、人類の未来、自分の生き方を真剣に考えていた。

青 年 ①

 

燃えろ 燃えろ

永遠に 高く 清らかに

進め 進め

前へ 逞しく 怠らず

我住む国土を  

最高の世界にするために  

 

「水、水、水をくれえェッ。」

「苦しい、殺せえっ、殺してくれえェッ。」

22年前の原爆被災者たちの声である。焼けただれた手足、はがれた背中の皮をひきずりながら歩く数万の群衆。死にもまさるような苦しみ、喉の乾き、燃えさかる町並、濁流の如き黒い豪雨、まさに地獄絵図そのものである。被爆者はもちろんのこと、同胞の嘆き、苦しみ、怒りは想像を絶するものがある。この惨禍は他でもない、我々人間が作り出したのだ。

そこで人々は深く反省し決意した。ノモアヒロシマ、ノーモアヒロシマと。二度とあの惨劇は繰り返してはならない。儀牲は我々だけでたくさんだ。被爆者たちはそう絶叫し続けてきた。

今日、物質文明は当時より格段の進歩を遂げた。日本社会の表層には、あの悲惨な体験を忘れ去ったような安易なムードが流れている。被爆者たちの悲願である原水爆禁止運動さえも、為政者たちは醜い政争の場としている。果して、これで目的が達成できるのか。広島、長崎両市民のあの忌わしい体験を世界に訴えることができるのか。一体誰がそれをやるのだ。それは、我々日本人。唯一の被爆体験を持つ日本人しかないのだ。

それなのに、我々のなかに、早くもその記憶を脳裏から拭い去ろうとしている人々がいる。また、それを考える心の余裕のない人もいる。自分だけの私利私欲に凝っている人もいる。嘆かわしいことであるが、それが現実なのだ。

さて、誰でも平和を求めない人間はいない。なぜなら全ての幸福は平和に根ざしているからだ。平和とは、小さくは、対人間の和であり、大きくは国家間の和である。これらはいずれも単独では存在しない。つまり、本質的に同じものであり、同価関係によってのみ成り立つことなのだ。それを自覚しながら無関心でいるのはどういう心境だろう。目先の利益が、そんなに大切なのだろうか。そんなはずがない。誰しも遠大な理想を持ち、真の幸福を掌握しようと願っているはずだ。万人に共通する願い、しかも、いまだに実現できぬ願い。その悲願を実らせるのは、未来をになう我々日本の若人、青年だ。世界をみても、他にはないと確信する。

青年は建設なり、青年は前進なり、昔から時の青年には多大の期待がかけられてきた。それは今日でもまた同様である。なぜ、青年にはそれほどの期待がかけられているのか、少し考えてみよう。

青年、それは燃え盛る炎を象徴する

青年、それは天を突く青々とした杉木だ

青年、それは太陽だ

それは、生命の源

それが、生き生きと脈動するとき

その生命体は、未来を目指して活動する

そして、ダイヤモンドを産出する

青年 、それは永遠の光だ

青年、それは細いが無限の可能性をもつ

青年、それは果てしない灯である

ダイヤモンドの産出とは何か。それは青年の逞しい生命力によって、人生、国家、社会に平和と幸福を樹立していくことだ。この世を新しく開拓していくのは、青年である。ニュートンにしろ、ガリレオにしろ、そして、故国フランスを救ったジャンヌダルクにしろ、皆十代にして、偉大な発明、発見をしたり、社会的な大変革を行なったりしている。このことからも、青年なくして。世界の平和と繁栄はありえないと言っても過言ではない。裏を返せば、青年を大切にする国家は、世界で一番躍進する平和国家と言える。

明治時代において、村や町のなかで一番立派な建造物が学校の校舎であり、一番の ボロ小屋が役場等の公官庁だったということを聞く。また、教育予算も、予算総額の五十パーセント近くを占めていたともいう。しかし、現在の日本において、逆のケースが意外に多いことは、前途に何か考えさせられるものがある。

人類出現以来、その歴史はまだ浅い。カンブリア紀以後にしても、一パーセントにも満たない活動期間だ。その観点から、人間にはさらに大きな前進が期待される。その芽を核兵器等で枯らしてしまうのは、残念であり、大悪罪であることを自覚せねばならない。

青年は、自らの手で人間を破滅に導くような行動や言動を避け、希望に満ち、喜びにあふれ、意欲的で知性にあふれた生活を送るべきだ。それが真に青年の青年らしい生き方である。若い我々には、人類の未来の一切のことが託されている。その期待を裏切ることなく、全ての苦悩を克服し、自己に厳しく、常に雄々しく前進していくのが永遠に輝く青年といえよう。

しかし、そうはいっても、青年期は、人生の波乱期でもあり、数々の悩みや障壁にぶつかり、自己の生き方を左右されることも少なくない。そこで、私は、自分の混沌とした考えをまとめる意味において、十七歳という、わずかな人生体験ではあるが、「生命」「学問」「性」「宗教と哲学」について考えてみた。以下につたない文章ではあるがそれを記す。

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