本章「性」と次章「宗教と哲学」は、人間が生きるうえで大きなウェイトを占めるものであり、論じたいことは山々であるが、紙面の都合もあり、ごく簡単にアウトラインを示す。
性(SEX)は、人間生活において大きなウェイトを占める。フロイトの説によると全てだというが、私は、賛成できない。性とは、種族の維持と繁栄のための根本条件である故である。
アオミドロより人間に至るまでの性分化は、生物学的に解明されてきている。そして、両性の比が、ほぼ1対1であることも、分裂や単位生殖と異なり、種族の発展に大いに役立っている。しかし、性の神秘的なベールは、生命の起源とも関連し、まだまだはがされていない。
人間には必然的に両性が存在する。その性の発達は、受精に始まり、胎内において分化し、出産と同時に第一次性徴がわかる。そして、数年間を経て、第2次性徴期に入る。その頃になると、精神的、肉体的にもおぼろげながら成熟し始め、無意識のうちにも異性を意識するようになる。美醜好悪の感覚による性の目覚めは、精神的に人間を飛躍させ、自我の確立、自己の高揚、脱皮、または、社会的視野の拡大等の効果がある。それを経て、名実ともに大人に近づくのである。
我々十代後半の年代においては、性への憧憬は大きい。それ故、恋愛論議や、理想の男性像や女性像についての議論に花を咲かせるのも当然だろう。そして、その情熱を勉学等の励みに転用するのも望ましい。逆に、興味本位の雑誌等に没頭すれば、ゆがんだ概念ができあがり、当今、問題になっている性的無軌道な人間にもなりかねない。
我々は物の道理が理解できる年代である。男女の平等は当然のことであり、それぞれに適した分野があり、不可欠な仕事があるのだ。我々は、お互いに理解と尊重とを持って接しなければならない。
そして、結婚は、人生の第二の出発点と言われるほど重大な問題である。生涯の伴侶を決定するのであるから、慎重を期すことはもちろんのことである。そして、周囲の誰からも祝福されるものでありたい。 次に、いい人と、生涯を伴にする人とは、別の目で見なくてはならないことを明示する。
徳川家康は、若き時、女性関係で大変苦労し、その権力の強さを嘆息していた。歴史や大事件の裏には女ありとも言われるが、男子たる者、しつかりと腰をすえ、色に迷うことなく、自己の志を貫くべきである。
最後に、性に関しては、昔から、秘密的でけがらわしいものとして罪悪視する傾向が強く、それに根ざした宗教も多かった。しかし、その考えは正しくなく、これは自然の摂理であり、人間としての当然の発露なのだ。我々は現実を素直に見なくてはならない


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