教育が元気

教育が元気 教育が元気

学校現場がブラックと喧伝されて久しい。教員志望者も減少傾向にあり、国家の百年の計において由々しき状況にある。改善の余地は大きいが、
大半の教師は、使命感のもと、やりがいを持って子供たちと接している。学校において、子供にとって最大の教育環境は教師であることを考慮するれば、今すべきことが見えてくる。

学校教育

思春期に政治・経済を考え、参加すること

思春期に政治・経済を考え、参加すること  中国においては、習近平総書記が異例の3期目続投が正式に決定。ヨーロッパでは、イギリスのトラス女性首相が45日という短い在任期間で辞任し、後任にスナク首相がイギリス史上初のアジア系首相として就任。イタリアでは、メローニ女性首相の新政権が発足。アメリカでも、2週間後に中間選挙が行われ、その結果次第で、世界が動かされます。そして、ロシアの侵略によるウクライナの戦争は、厳寒を迎えようとしているのに、凄惨な状況が続いています。世界の政治動向は、地球や人類の未来を左右しかねず、目が離せません。 こうした国際状況のさなかにあって、日本だけが影響を受けないというわけにはいきません。民主主義国家として、いかに諸外国と交渉し、平和と国益を守るかが政治家に問われています。それにもかかわらず、国会開催中に経済再生担当大臣が辞任するなど、政局が揺れています。戦後77年を経て、18歳から選挙権が与えられ、主権者教育も学校で行われるようになってきましたが、若者をはじめ国民の民主主義の政治意識は高まったでしょうか。それは、国政並びに地方の議員選挙の投票率の推移を見れば明らかです。どうすればいいのでしょうか。 もっとも多感な思春期に地元の政治・経済を考えたい。 現在、新城市には、「新城市若者条例」「新城市若者議会条例」に基づき、全国初の「若者議会」が設置されています。若者が自分の思いや意見を伝える機会を若者が活躍できる世代のリレーができるまちづくりをめざしています。市長の附属機関として、市の予算1000万円を財源として、若者の声を市政に実現できる仕組みになっています。どうして新城市に若者議会が誕生したかについて、その発端は、以下のようです。 新城市は、「新しい城」の市、英語に訳すと「ニューキャッスル」市となります。そこで同じ名前という縁で、世界のニューキャッスル市と20年余にわたり交流しています。そのなかに若者同士の交流である「ユース会議」があります。2012年のイギリスのニューキャッスルアポンタインでの第8回アライアンス会議でのことです。そこでの議論の主なものは、「若者の声を市政にいかに反映させるか」「若者が起業するために何が必要か」といった地元の街の政治・経済についての話題です。 日本の若者は、環境問題については、学校でも学んでおり、意見を述べることはできます。しかし、日々動いている政治・経済の問題となると、耳にすることはあっても、自分の問題として深く考えた経験がないというのが実情です。丁々発止の意見を英語で述べる外国の若者の姿に圧倒され、頭の中が真っ白になります。その上、考えた経験もない分野の議論ですので、英単語の意味もわからず、ますますあせってしまいます。 議題にかかわる材料の蓄積がない、意思疎通のツールである英単語がよくわからないという二重のハンディのなかで、日本の若者だけがガラパゴス状態になってしまいます。会議を終えて戻ってきた新城の若者たちは、大変に悔しがっていました。そして、帰国後において、「新城ユース会議」を立ち上げ、自分たちでテーマを設けてディスカッションしたり、「市民会議」の司会・運営をするなど積極的に市の行事に参画したり、留学生を市内観光ガイドするなど英語学習の機会を作ったりしました。 若者たちに、世界の若者と比して悔しい思いをさせたり、政治・経済の問題に無関心であったり、英語コミュニケーション能力の乏しい多くの若者を育ててきたのは、日本の大人たちであり、学校・家庭の教育です。誠に申し訳ないことと思います。 政治家を選ぶ選挙の投票率の低さに顕れる日本国民の意識。 2023年は、統一地方選挙の年で、4月に、県や市の首長や議員の選挙が各地で行われます。その都度、当選の喜びの映像がニュースで大きく放映されますが、その際、例えば、当選した首長の得票数が市の人口や有権者数に比してきわめて少ないことに違和感を覚えます。投票率を見ると、30から40数パーセントが大半です。となると、例えば、投票率40パーセントの選挙で60パーセントを獲得して当選したとしても、全有権者数のわずか24パーセントの支持で、100パーセントの政治を付託されることになります。このことを是とするか非とするか、民意の反映とするか否かは、微妙な問題です。国政選挙で問題となる「1票の格差」も、「投票者数」を基準に考えると、また違う風景が見えてきそうです。 ともあれ、日本の中高等教育のなかで、地方自治や国政の時の動向について学んだり、友人・家族や地域の人と地方自治について議論したりしたことがあるかを振り返ってみると、肌寒い実情ではないでしょうか。 教育が「政治・宗教の中立」を錦の御旗にするあまり、タブー視して取扱いを避け、子供たちの思考を停止させていないでしょうか。一党一派に偏る議論は避けなくてはなりませんが、理想とする「市町の姿」「国の形」を論じ合うことは、「愛郷心」「愛国心」を育むうえでも大切なことと思いますがいかがでしょうか。 少なくとも、ニューキャッスルのユース会議において明らかになったことは、世界の若者は、それぞれの国の母国語と異なる英語を駆使して、地方政治について問題意識をもって議論し合っているということです。人間生活と直結する「政治の具体」について、なかば思考停止のまま大人になったとしたら、世界を相手に議論することなど、とてもできません。 日本の選挙における投票率の低さは、学校教育における政治学習の在り方に起因するのかもしれません。生徒会の自治の在り方を含め、教師の意識を高めることが必要です。いずれにしても、日本の若者が世界の若者を相手にするとき、政治についての自分なりアイデンティティーをもつことが必要です。 では、経済大国であった日本の若者の経済に対する見識はどうでしょうか。 ユース会議では、「若者の起業」がテーマでした。若者が起業しやすい環境を構築するために政治がいかに支援すべきかと、政治と経済を一体化して、自分自身の問題としてとらえています。日本の小中学校でもキャリア教育は盛んですが、職業紹介や就業体験が主で、そこに「起業の発想」はないように思います。その結果、資格をとって大きな会社に就職とか、収入が安定している公務員を志望するといったところに落ち着きがちです。昨今では、ITやバイオでのベンチャー企業も多くなってはいますが、「ものづくり日本」のフロンティアとして「起業をめざす」といった声は、聞いたことがありません。 また、一方、最近では、経済大国は、過去の幻想で、国民一人当たりのGDPでも、OECD加盟国中19位ですし、国民一人当たりの所得(GNI)は、それ以下で、子供の貧困が問題になっています。昨今の円安が如実に物語っています。 「一人前になる」気構えを培っているでしょうか。 子供が大人になって社会で「独り立ち」できるようになることが「一人前」です。それぞれの職業や分野において自分の判断で物事を進め、自分の力で生活でき、家庭をもてるようになることが「一人前」の定義でした。時代とともに意味合いの変化はありますが、そこに欠かせないのが「経済」であり、「経済力」です。「勤労の対価」などと難しい言い方でなく「賃金」であり「金儲け」です。 一次産業が中心だったころは、親が汗水流して働いた対価としての現金収入は、子供にもわかりやすく、身近なところに経済があり、「お金の大切さ」を肌身で感じることができました。「働かざるもの食うべからず」といった言葉も当然のこととして受け入れていました。 高度成長ののち、会社や工場で働く親の後ろ姿は子供の目の届かないところになり、給料振込生活者となって家庭で家計や経済の話題が少なくなりました。少子化で子供の小遣いや玩具は、常に子供の欲求以上のものになりました。学校教育現場にあった「子供貯金」や「集金」の活動も姿を消しました。勤労による子供の小遣い稼ぎも必要なくなりました。十円玉を握りしめて駄菓子屋の前に立つ子供はいません。菓子も食糧も多くの家庭に余るほどあります。 子供たちが「不足感」や「渇望感」を抱くことがなくなりました。 「衣食足りて礼節を知る」は、もはや時代錯誤の言葉となってしまいました。しかし、食糧資源やエネルギー資源の実情からしても、いつまでも飽食・消費の時代は続きません。地球規模で持続可能な社会を考えなくてはならない時代です。その意味合いでESD(持続発展教育)ユネスコスクールの発想も重要です。思春期に政治・経済をいかに考えさせるかは、グローバルな人材を育てる上でも、教育に欠かせない事柄だと思います。 「夢をもつ教育」が盛んですが、「夢を現実にする教育」はより重要です。 これこそが「生きる力」につながります。学校現場の先生方は、「お金」や「経済」について考える機会は比較的少ないと思います。また、子供に「夢をもつ」ことは多く語りますが、「夢を現実にする術」を教育することは、少ないと思います。子供たちが青年になって海外の若者と、「自治」や「起業」、「政治」や「経済」を対等に英語で議論しあえるよう、小中学校のころから備える必要があります。学校・教職員の未来にかける展望次第です。           
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記憶は消えるが記録は残る

記憶は失うが記録は残る。記憶は曖昧だが記録は確かだ。記憶は主観に歪曲されるが記録は客観の事実として残る。記録の積み重ねが歴史となり。歴史は記録により左右される。記録は人間により創られ、人間は教育により形づくられる。よって、歴史は教育により創られる。どんな教育がなされるかによって歴史は変わる。 教育は、本来、子供の健やかな成長と未来の幸福を願って「生きる力」を育む営みである。その集積が、豊かな人生を築き、平和と繁栄に貢献する「地球市民」となるのが理想である。教育の振興が、人材を育て、文化を繫栄させ、経済を発展させる。国力も増強する。 しかし、歴史を振り返ると、時の権力が教育を利用し、プロパガンダにより、人々を戦争の不幸に陥れた例も数多くある。現に戦争地域では、占領国が自国の価値観や文化を子供たちに刷り込むべく学校教育に介入しているという。かつての日本も朝鮮半島や台湾において同じことをしてきた。教育は、最大の良薬であると同時に、最悪の毒薬でもある。 2006年の教育基本法の全面改正に始まる教育関連諸法の改正により、地方公共団体の首長の教育委員会・教育長に対する権限が強くなった。ただでさえ、教育事業における予算編成権も決裁権もない弱い立場の教育委員会である。いつ首長の思惑で教育がゆがめられるかわからない。そこで、新城市では、市長や市議会の承認を経て、教育の普遍的な使命に照らして教育の中立性・継続性・安定性を堅持して共育(ともいく)を進めようと、「新城教育憲章」を策定した。 この理想が堅持できるか、行政・教育の記録による監視が必要である。記録により事実が立証・検証され、未来を拓く礎が築かれる。
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学校は、地域の「元気の源」!

子供は地域の人類の元気の源です。少子化のなか地域の子供の人数が減ってきました。そんななか、必ず複数の子供たちが活動しているのが学校です。子供のいる場所には、生命のエネルギーがあり、元気がある。学校を地域の元気の源にすることで、日本の未来は開ける。新城市の「共育(ともいく)」を例に、学校が「元気の源」となる方策を考えてみました。
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