記憶は消えるが記録は残る
記憶は失うが記録は残る。記憶は曖昧だが記録は確かだ。記憶は主観に歪曲されるが記録は客観の事実として残る。記録の積み重ねが歴史となり。歴史は記録により左右される。記録は人間により創られ、人間は教育により形づくられる。よって、歴史は教育により創られる。どんな教育がなされるかによって歴史は変わる。
教育は、本来、子供の健やかな成長と未来の幸福を願って「生きる力」を育む営みである。その集積が、豊かな人生を築き、平和と繁栄に貢献する「地球市民」となるのが理想である。教育の振興が、人材を育て、文化を繫栄させ、経済を発展させる。国力も増強する。
しかし、歴史を振り返ると、時の権力が教育を利用し、プロパガンダにより、人々を戦争の不幸に陥れた例も数多くある。現に戦争地域では、占領国が自国の価値観や文化を子供たちに刷り込むべく学校教育に介入しているという。かつての日本も朝鮮半島や台湾において同じことをしてきた。教育は、最大の良薬であると同時に、最悪の毒薬でもある。
2006年の教育基本法の全面改正に始まる教育関連諸法の改正により、地方公共団体の首長の教育委員会・教育長に対する権限が強くなった。ただでさえ、教育事業における予算編成権も決裁権もない弱い立場の教育委員会である。いつ首長の思惑で教育がゆがめられるかわからない。そこで、新城市では、市長や市議会の承認を経て、教育の普遍的な使命に照らして教育の中立性・継続性・安定性を堅持して共育(ともいく)を進めようと、「新城教育憲章」を策定した。
この理想が堅持できるか、行政・教育の記録による監視が必要である。記録により事実が立証・検証され、未来を拓く礎が築かれる。